昨年1月15日。日本初の新型コロナ感染確認。悲劇の幕は音もなく静かに上がった。
直ちに担当部局に指示し、翌日新型コロナ県庁相談窓口を設けるなど、対策を矢継早に繰り出した。初動を急いだのは「危機感」からだ。高齢化率が高く、感染症病床も僅か12。武漢のような修羅場が起きてからでは遅い。新型インフルエンザの時は、神戸市での初発例後、1月経たずに本県最初の患者が出た。
PCR検査については、新型インフルエンザの教訓から県衛生環境研究所で一日120検体まで処理能力を高めていたが、畜産用も転用して60検体分引き上げ、民間検査等も促進して、現在は5600検体検査可能となった。人口当たりで全国トップだ。「ドライブスルー方式」の検査は、都道府県で最初に鳥取県が昨年4月導入した。
国の指導により、当初PCR検査対象は、37.5度以上の発熱等の「症例」に合う者や、15分以上陽性者と行動を共にした「濃厚接触者」等に限定する厳格な運用がなされてきた。しかし、これでは無症状も含め陽性者を見つけ出せない。鳥取県では、昨年2月に、医師が必要と認める人は、症状の有無や海外・県外渡航歴に関係なく、幅広くPCR検査を実施する「積極的PCR検査」へと舵を切った。
昨年2月医療界との対策会議で病床確保や院内感染防止の協力要請をした際、医療界から当時不足していたマスクを所望された。県備蓄ほぼ全量23万枚のマスクを医師会に渡したのだが、この「捨て身」の姿勢に応えて下さり、受入病床については現在321床確保でき、診療・検査医療機関についても医療機関の9割が対応している。両者とも人口比全国最多だ。
更に、「早期検査・早期入院・早期治療」を県独自の新型コロナ対策とした。いわば「鳥取方式」だ。鳥取県のように即日幅広く検査すれば、結果的には陽性者の発生を抑制し病床負担も軽くなる。入院で感染拡大も封じ、医療ケアで命も守る。検査や患者・陽性者の個々の状況も私自身常時フォローし、保健所長や病院等と話し合う。人口最少の鳥取県は、むしろ小回りと絆を活かし、命と健康を守る。
県独自に「クラスター対策条例」も制定した。新型コロナはクラスターで爆発的に広がる。これが特徴で、急所でもある。県民・事業者・市町村にも協力を仰ぎクラスターを予防するとともに、発生時はそこを起点として感染が一気に拡大しないよう迅速な措置をとれる規定を設けた。権利制限は必要最小限に抑制し、当時問題が顕在化してきた患者や医療従事者、更には店も含めた誹謗中傷対策も規定した。8月25日の臨時議会で、蔓延防止のための知事の「指示」を「勧告」にするなどの修正を経て、全員一致で可決成立した。この条例が本県の対策に役立った。
第三波は、第一波・第二波とは比較にならない怒涛のような厳しい「修羅場」だった。特に年末年始はすさまじく、飲食店クラスター2件を核とした集団感染は、合計39名に及んだが、その封じ込めに実に5百件近くのPCR検査を展開した。手早く感染ルートを追い、ローラー作戦でPCR検査を展開し、10日ほどで感染の波に追いつき、その後は囲い込んだ範囲内での陽性発生になってきた。クラスターを閉じることができたが、大都市等ではこのように手早く囲い込めず、市中感染を招いているのではないか。本県では「鳥取方式」で素早く「PCR+入院」を実行し、県民や医療関係者等と総がかりで、累計感染者数全国最少を実現した。
高齢化が進み、医療資源が充実しているとは言えない鳥取県。悪条件が重なるが、小さい県だからこそ、皆で心ひとつに新型コロナに挑み続ける。
「咳をしても一人」
鳥取出身の尾崎放哉が、肺の病気に苦しみ人生の終焉に詠んだ句だ。鳥取県では、咳をしても「一人」にはさせない。そういう「孤独」は絶対につくるまい。