「因幡の家持 伯耆の憶良 〜千三百年の時空を超えて」が刊行されることとなりました。ご尽力いただきました福井伸一郎会長はじめ山上憶良の会の皆様、献身的に調査に協力され玉稿をお寄せいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。
丈夫(ますらを)は名をし立つべし後の代に聞き継ぐ人も語り継ぐがね
大伴家持のこの歌に目が釘付けになったのは、鳥取県知事の職を預かるようになって間もない頃でした。鳥取県のため県民のため、お前の仕事をやり遂げよ、成就すれば名は語り継がれよう。そう家持に諭された心地がしたものです。
同時代を生きた山上憶良、そして家持は、それぞれ伯耆国、因幡国の国守として、別々に鳥取県で要職を務め過ごしました。いわば私のはるか昔の大先輩です。実はこの二人は、家持の父旅人の縁でお互いをよく知る間柄であり、家持は憶良を慕っていたのです。
士(をのこ)やも空しかるべき萬代(よろずよ)に語り継ぐべき名は立てずして
病の床に就いていた憶良が、自らの死期を悟り、後世へと語り継がれる名声を立てないままに、死にゆくのではないか、と痛惜の念を口ずさんだ歌を遺しました。
冒頭の家持の歌は、この憶良の歌に追和して詠じたものでしょう。「ますらを」とは、当時理想とされた立派な男子を意味する言葉で、家持が好んで使う言葉でした。
「憶良さんほど立派な方はありません。必ずや後世までお名前は語り継がれます。」
家持は歌を作って、そのように憶良に心の叫びを送り、その生涯を讃えたのでしょう。
この令和の時代は、二人の世界に再び価値を見出す時代です。旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」に由来する「令和」という言葉には、鳥取県のように、自然を愛で、ゆったりとした時が刻まれ、人々が絆で結ばれた社会のぬくもりが息づく、家持と憶良など万葉歌人が紡ぎだした日本の古き良き理想を大切にする価値観があります。今でもあの頃と同じような四季折々の美しい自然や絆が、鳥取県には残っています。二人が国守を務めたこの地こそ、そうした記憶がDNAとして今も受け継がれ、令和にふさわしいふるさとなのです。
本書をとおして、家持と憶良という二人の「ますらを」への理解が深まり、新型コロナなどの困難に立ち向かう令和を生きるすべての人々に希望と示唆をもたらし、今を乗り越えていく糧となればと願っております。千三百年の時を経て、二人の「ますらを」が過ごした穏やかな時代を再び創り上げることができますよう、お祈り申し上げます。
令和三年七月二十三日