平井通信

寄稿分
「手話は言語だ」
鳥取県知事 平井伸治

 「手話の人」
 NHKの東京オリンピック閉会式Eテレ中継時に、ネットでトレンド入りした言葉です。手話ニュースキャスターの戸田康之さん、野口岳史さん、寺澤英弥さんが入れ替わりながら閉会式の様子をリアルタイムで手話表現する様子が、国民に共生社会を実感させるものとなりました。この数日前に全日本ろうあ連盟の久松三二事務局長とリモートで手話を交え話し合った時、「悲願だったオリンピック放送の手話通訳開始」と満面の笑みで得意気に語りかけてきたことが脳裏に浮かびました。

 世界では1880年にミラノの国際会議において、わが国でも1933年に文部大臣訓示において、ろう教育の場で手話の使用が否定されました。これは、シャルル・ミシェル・ド・レペが1760年に世界初のろう学校をパリで開設して始めた手話教育がルーツとされる「手話」の否定に等しいものです。ようやく、2010年にバンクーバーで開かれた国際聴覚障がい教育会議、日本では1993年の文部省方針変更によって、ろう教育での手話が認められ、巻き戻された時計の針は元通りになりました。そして、2006年に国連で採択された障害者権利条約で手話は「言語」とされ、同年のニュージーランド手話言語法制定など、今世紀に入り世界中で手話を言語と位置づける流れが加速しています。

 私自身は、学生時代に日本赤十字のボランティアで手話に触れ、社会人になって神戸市の手話ボランティアスクールを修了しました。だから私の手話は「神戸なまりの関西弁」。例えば、「頑張る」は、顔の両側で両掌を押し出し表現しますが、東京等では、両腰のあたりで前に突き出した両拳を下へ。左手甲の上を右手が越えて行く手話は「阪急」。阪急はJRの北を走るからだそうで。阪神なら、反対に左手下を右手が越える手話。
 このような経験もあったので、鳥取県知事就任早々「鳥取県将来ビジョン」策定に向けた公聴会で、「手話を言語だと認めてほしい」との聞こえない人々の切実な声を受け、「手話がコミュニケーション手段としてだけではなく、言語として一つの文化を形成している」と書き込むこととしました。更に、「障がいを知り、ともに生きる」を合言葉に「あいサポート運動」をスタートさせ、この運動は今や和歌山県はじめ国内外に広まっています。

 鳥取県の積極的な障がい者対策を知り、全日本ろうあ連盟の久松さんが県内聴覚障がい者の皆様と一緒に来庁され、国に「手話言語法」制定を求めても動かないので、まずは鳥取県がモデルとなり「手話言語条例」を検討するよう要請してこられました。私は、国の各省が取り組まないほど困難な課題があるだろうと覚悟しましたが、その志に賛同し、早速研究会を設け精力的に条例案をとりまとめました。県議会の活発な議論を経て、全国初の「鳥取県手話言語条例」は平成25年10月8日に可決されました。本会議場で条例誕生を見守る全国の聞こえない仲間たちが、喜びを爆発させて「拍手」の手話を送り続ける「静けき喝采」は、日本の一隅から歴史が開いた瞬間を祝福していました。
 条例を絵に描いた餅にするまい。対策予算も飛躍的に増大させ、手話学習教材の全生徒配布や手話関連図書の全校配置、タブレットによる遠隔手話通訳や音声文字変換システムの導入、地域や職場等での手話講座開催、全国初の知事会見手話通訳導入等々、手話を使って暮らすことができる地域づくりを加速しました。その結果、手話を使える人が着実に増えてきました。信念をもって動けば世の中は変わるものです。
 鳥取県から始まった条例は全国に波及し、今では4百を超える自治体で手話言語条例が制定されています。我々知事有志で「手話を広める知事の会」を平成28年に旗揚げし、今や全知事が加盟するに至り、地域から手話を広めようとスクラムを組んでいます。
 他方、手話言語法制定は実現していません。9月6日に、法制定を目指す全国集会が挙行されます。それでも、鳥取県が平成27年度から導入した聴覚障がい者のための「電話リレーサービス」が、日本財団の協力を仰ぎ7月から全国で導入されるなど、手話を使いやすい環境づくりは着実に進展しています。

毎年「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」が鳥取県で開催されます。お出ましになられた佳子内親王殿下が、歌会始で詠まれた御歌です。

「若人が力を合はせ創りだす舞台の上から思ひ伝はる」

 聞こえる生徒も聞こえない生徒も、未来を担う若人が手話を使って巧みに表現を競い合う舞台。その思いを実現するように「手話革命」が進み始めました。
聞こえない人の「音なき声」を聴いてください。日本で、世界で、熱く願う「声」を。
 「手話は言語だ。」

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