今月韓国江源道で開催された「全国障がい者幸せ分かち合いフェスティバル」に出演した「DJ Yuta & Yuichi」こと井谷優太さんと中原勇一さんが訪問されました。韓国国の選抜20チームがパフォーマンスする前、そのオープニングを飾る心洗われる演奏により、あいサポート運動発祥の鳥取から、韓国国内に新風を吹き込みました。
11月の園遊会の際に、秋篠宮家の眞子様から、「DJ Yutaさんの曲をインターネットで聴きました。婚約に寄せた素晴らしい曲をありがとうございました」というメッセージを頂いた時の様子をお伝えしたところ、DJ Yutaさんと御家族も大変喜んでおられました。平昌・東京のオリンピック・パラリンピックに向けて、障がい者も輝く文化五輪を鳥取からも後押ししてまいります。
平成6年9月に吉林省と友好交流推進に向けた覚書を締結してから23年間、吉林省とは北東アジア地方政府サミットや、経済・文化・青少年分野などで交流を進めてきました。そうした交流を土台として、本年4月の鳥取でのサミットなどで、巴音朝魯(バーインジャオルー)書記や劉国中(リウ・グオジョン)省長と信頼関係を高めた結果、両県省の関係を姉妹交流に格上げすることが決まり、「協定締結」の調印式が吉林省長春で挙行されました。来年夏に本県で開催する国連開発計画のGTI北東アジア地方協力委員会で、環日本海定期貨客船を活用した中国への物流ルート構築を共同提案することを私から提案したところ、吉林省側も協力することになりました。姉妹縁組を機に、経済、貿易、文化、教育など多面的交流を進めてまいります。
11月24日から26日までの3日間、雄大な鳥取砂丘を舞台としてスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」のイベントが開催されました。予想を大きく上回る8万9千人のお客様が鳥取砂丘へお見えになり、かつて経験したことのない数の観光客が来られたことから御迷惑をお掛けいたしました。住民の方々には深くお詫び申し上げます。
他方で、砂丘以外も含めてたった3日間で約12万人の集客、最大で24億円の経済効果があり、宿泊客も県全域に及んだことから、観光関係者などから再度開催を望む声も相次いでいます。
元々、砂丘を「スナホゲーム解放区」にするとしたことにゲーム管理会社のナイアンティック社やポケモン社が評価して、無償でポケモン出現に協力してくださったことで今回のイベントが実施されたものです。これまでにない集客規模のイベントであり、今回の経験を教訓にこれからの観光集客に活かしてまいります。
「あいサポート運動」は平成21年11月に国連障がい者権利条約の理想を実現するため、鳥取県から始まりました。「障がいを知りともに生きる」県民運動は、今では中国地方5県のみならず、7県4市5町や韓国江源道に広がり、全国的な大手企業なども参画するようになってきました。今般、ついに大都市にも連帯の輪が拡大することとなり、政令指定都市では初となる大阪市吉村洋文市長と大阪市庁であいサポート運動に参画する協定を締結しました。障がい者差別解消法を先取りした鳥取県の志と実践が、人口の多い自治体にも共有されてきました。
ジャマイカオリンピック協会のクリストファー・サミューダ会長が来県しました。昨年ジャマイカを訪れた時には、パラリンピック協会の会長でしたが、その後オリンピック協会長に就任された方で、これまでも直接鳥取のキャンプ地としての魅力を訴えてきた人でした。これまでの鳥取との友好関係が実り、ジャマイカオリンピック協会と本県、鳥取陸上協会、鳥取市の4者で2020年東京オリ・パラ事前キャンプに関する包括協定調印式が挙行されました。
また、当日はサミューダ会長から「オリンピック選手だけでなく、パラリンピック選手も受け入れて欲しい」との申し出がありましたが、あいサポート運動を進める本県としては歓迎し、快諾させていただきました。
本番に向けて準備を加速させてまいります。
第6回目となる日韓知事会議が韓国釜山で開催されました。災害や少子高齢化、地域経済活性化など共通の課題を共有する両国の首長が、今後の自治体間交流や双方の施策について情報共有し議論を行いました。私からは、出席者が注目するテーマの防災・災害対策の分野で、昨年10月の鳥取県中部地震やその対応などについて報告し、韓国側から質問が相次ぐなど、活発な意見交換を行いました。会議では今後も引き続き協力を進めていくことで合意しました。
またアシアナ航空の朴三求(パク・サング)会長らを訪問し、週5便化決定を感謝するとともに、増便の継続や路線のPRなどを要請をしました。
平成28年10月23日に周航したエアソウルは1周年を迎えました。韓国江源道で開催される平昌オリンピック100日前になることから、江原道副知事や江陵市の高校生舞踊団も来県し、記念セレモニーを行いました。セレモニーに当たり、エアソウル柳光熙(リュ・グァンヒ)社長が就航以来ずっと週3便の米子ソウル便を、12月23日から3月末まで週5便にすると公表しました。月曜日と水曜日を除き連日直行便が運航されることで新たな歴史が生まれます。平昌オリンピックを前に交流人口の増大が見込まれますが、地元関係者と一致団結して、週5便が継続していくよう、インバウンド観光振興など、搭乗客を更に伸ばしていくよう頑張ります。
あの鳥取県中部地震から1年。県民の皆様のお力添えと内外からの温かい御支援により、着実に復興を進めることができました。震災復興に御尽力いただいた方々の表彰式典の後、未来を担う子どもたちも交えて、復興、そして幸福を生み出す「福興」を誓い合いました。商店街など街の皆様もイベントで盛り上げ、日本一の牛肉や椎茸もふるまわれ、元気な中部をアピールしました。被災された一人一人に寄り添い、きめ細かな支援を続け、「復興」、「福興」へ全力を挙げて参ります。
鳥取・岡山共同でオープンした東京アンテナショップ「とっとり・おかやま新橋館」が3周年を迎えました。その記念イベントの一環で、鳥取・岡山両県の食材を駆使してキャイ〜ン天野さんが監修した料理を、伊原木隆太岡山県知事や関根麻里さんとともに味わいながら、両県の特産品や食材の魅力を在京メディアにアピールしました。
前日の夕刻、上野動物園の赤ちゃんパンダの名前が「シャンシャン」に決まったという報道が全国に流れました。この瞬間、私の中に「何かお祝いをしなければならない」という強い思いが興りました。翌朝役所へ登庁した私は「シャンシャン」命名のお祝いを表すため、「鳥取しゃんしゃん祭」鳥取県庁連の皆さんや竹口大紀大山町長、大山町観光マスコットキャラクター「むきぱんだ」などとしゃんしゃん傘踊りをしてお祝いの気持ちを爆発させました。
パンダはシャンシャン。ダンパ(ダンスパーティ)はしゃんしゃん(祭)で決まり!
宮城県仙台市で行われた5年に1度の和牛のオリンピック「和牛全共」において、肉牛の部で鳥取県勢として初めて「肉質日本一」の栄冠を勝ち取りました。また出品団体表彰という総合的な評価でも過去最高位となる全国5位入賞を果たしました。長年の悲願が実り、農家の皆さんと手を取り合って準備を進めてきたこれまでの挑戦の数々が評価され、鳥取和牛王国復活の輝かしい飛躍となりました。
次回5年後の鹿児島全共でも好成績が残せるよう気を引き締めて畜産振興に取り組むとともに、和牛振興に鳥取県一丸となり「モー」っと上を目指します。また、肉質日本一の栄誉を国内外へPRし、鳥取和牛ブランドを売り込んで参ります。
沿海地方ウラジオストクで開催されたロシア政府主催の東方経済フォーラムに招待され、環日本海定期貨客船航路(DBS航路)をはじめとした本県の海運・物産などについて、シュヴァロフ・イーゴリ・ロシア連邦第一副首相、ロシア経済団体代表のレピク・アレクセイ実業ロシア会長らに直接プレゼンテーションを行いました。この機会に集まった安倍総理をはじめ閣僚大臣や経済界の要人との意見交換会においても、DBS航路の活用など、日露の経済交流を進める上で本県を活用するよう訴えました。
香港航空が、昨年3月に岡山空港、同9月に米子空港に就航して1周年を迎えました。これを記念し、香港のイオンで「鳥取岡山観光物産展」を開催し、鳥取県の梨や岡山県のぶどうを中心とした物産品販売のほか、観光もアピールしました。
また、香港の高級焼き肉レストランを舞台に「鳥取和牛フェア」も実施しました。生産者や県内企業とともに「食の都とっとり」の魅力と香港航空での来県を、集まったメディアや来場者にアピールしました。
鳥取空港が1967年(昭和42年)7月に県営空港として開港して以来、50年が経過しました。この間延べ1050万人の方々に御利用いただき、地域の発展に貢献して参りました。
かつては大阪便や名古屋便などが就航したこともありますが、平成26年3月から東京便が5便化に増便されて現在に至ります。平成27年3月からは「鳥取砂丘コナン空港」の愛称をつけ、ますます親しみやすい空港へとなっています。当日は、空港から鳥取港へのアクセス道路を整備する「ツインポート」化や国内線ターミナルビルと国際会館を一体化する増床工事などを紹介し、工事完成後のターミナルビルの模型を披露しました。
鳥取県知事就任当初、国が境港と郡家のハローワークを廃止した時は、県が「ふるさとハローワーク」を開設して雇用を守りました。私は地方分権改革有識者会議の議員としても強く主張し、地方分権改革により県立でのハローワーク設置が認められました。一早く、県立ハローワーク(東京、大阪、米子、境港)を雇用戦略拠点として立上げました。女性活躍や移住など、トータルなサポートを提供していきます。